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  都立新宿山吹高等学校 保護者(並びに保証人)のための会です
 
 ◆ 私にとっての山吹会−1
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  「あの頃 親たちも青春していた」
− 私にとっての山吹会 −
元山吹会会長 清水祺允

 山吹高校の入学式、校長先生の「以上○名入学を許可します」の言葉に、ほっと肩の力が抜けた。
息子は、高校二年の十二月、喫煙で私立高校を自主退学した。
色々あったが、無学年・単位制という山吹高校の存在を知り、やっと復学が叶った瞬間であった。式
の後、「やまぶき会」の説明を受け、例会に参加するようになった。 
部屋一杯に集まった保護者の方々のお話を聴くうちに、不幸な親と沈んでいた気持ちが次第に楽に
なっていくのを感じた。

 開校されて七年、山吹高校にPTAという組織はなく、自主的に集まった保護者による会「やまぶき会」
が学校とのパイプ役で、活動はあくまで学校側の好意で、教室の使用許可、印刷物の配布など気を使
う事が多かった。組織は委員会制で、組織の長を代表委員と呼んでいた。

 息子は2年目に入り、嬉々として通学はしているものの、取得単位は一向に増えず、熱心にバレー部
に顔を出し、夜は学校前のコンビニの副店長を務める有様、将来への不安な心を、「やまぶき会」の人々
と語り合い、慰め合っていた。

 校長先生が変わり、会の組織も変わって、会長に選ばれた。新校長との懇談を何度も重ね、日曜日に
校長、副校長、生活指導、相談室の先生の参加を得て、バスハイクを企画した。往復のバスの中、昼食
を挟んでの相談会が好評で、五月の総会の参加も次第に増え、ご夫婦ご一緒の参加も幾組か、委員を
引き受ける方も多く、会費の納入者も倍増した。

 息子は入学して既に三年、卒業する気配皆無、がバレーボール部はチームワークも良く、何と八月の
全国大会の決勝戦へ駒を進めた。駒沢体育館に、北は北海道、南は沖縄まで八十校の熱戦、観客席
には、応援の垂れ幕も下がった、が吾が高校には無い、メガホンを叩いての応援、顧問の先生から「優
勝したら幕ですね」の言葉、約束どおり、やまぶき会の横断幕を皆で贈ることが出来た。

 山吹高校には、六年在籍する事ができる、五年目に入った時、校長先生がコンビニで働く息子に「もう
そろそろいいんじゃない」と握り飯を買いに行ったついでに言い置きして下さったりと・・・・・。

 創立十周年、パネラーとして席に着いた。
相談室の先生からお聞きした「自分が変わらなければ、他人を変える事は出来ない」・・・この言葉を一
生かみしめて行こうと考えている。

 五年かかって卒業した息子は家業を継ぎ、山吹の仲間とは、お互いに結婚式に呼び合っている。
私たちも「おしゃべり99」という会をつくり、そう親たちの青春の思い出を語り合っている。
 
清水祺允氏は平成8年〜平成11年度(平成12年5月の総会まで)、
山吹会会長をお務め頂いた方です。
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